
「ゼロの未来」とは?考えるほど意味がわからないタイトルだ。ポスターのビジュアルもまったく意味不明。スペースものを連想させたが内容は地上生活の話だった。
映画の世界観に馴染めず、序盤はドン引きで、序盤から少しの間の記憶が無い。見終わった後も意味がわからない。でも、翌朝意味を考えようと思って書き留めたノートをもとに整理してみたい。
<「ゼロの未来」との出会い>
この20世紀のノスタルジーをぷんぷん感じさせるSF映画のポスターを見た瞬間に、リバイバル上映と勘違いしTSUTAYAに借りに行くこうと一瞬考えたが、スクリーンで見たい衝動にかられ劇場に足を伸ばした。
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<これから鑑賞を予定される方は、閲覧をお控えください>
<「ゼロの未来」の景観>
人が進んで管理されることを求め、動物的本能が抜け、人口の減少が加わり、街の活力が低下するが、経済活性をどうにかしようと原色の広告が街中に広がると、全体が錆びたように見えそうだが、本当に薄っぺらいチープな未来の廃退的景観で、性的な部分を刺激するコスチュームや崩れたファッションを身に付けた人が多数登場している。サービス社会はの行方は性という原始的部分が変わらず価値があり、フォーカスされる社会構造なのかもしれない。
<「ゼロの未来」ストーリー>
近未来、コンピューターシステムによって人間が管理されることが当たり前になった社会で起こる、エンティティ解析を職業とする天才プログラマーのコーエンの話。
コーエンは、古びた協会で暮らしながら、人生とは何かを教えてくれる電話がくると信じて待っている老人。バツイチで独身で人との接触を嫌い、心に巨大なカオスを抱えている。そこは、上下も左右もなくブラックホールがある。ある日、管理者の主催したパーティーに出席したことが転機になる。仕事上の管理者との関係や、所属する企業マンコムのマネージャー(ビジネスの人)との出会いと新しい仕事の発生。ベインズリーという異性との出会い。ゼロの定理に詳しい天才少年との友情。そして、覚醒したどり着く境地。
ゼロについて少し考えてみたい。
ゼロの和は0。ゼロの積は1(ゼロの階乗を参照)。
自然数であるが、正の数でも負の数でもない。
空、無意味、リセット、スタート、NO(いいえ)、停止、起源などの意味に通じる。
映画の中では、韻を踏むように繰り返されている。
例えば、コーエンが他の環境や人と接触していくことは、互いにゼロの和(無価値)なのかゼロの積(有価)なのかの挑戦のようにも見える。環境から見た個人の価値と、個人が主体的に評価する自分とは、食い違うことが多いものである。老人を通じて当然が描かれている。
周りの人がコーエンに投げかける言葉を聞きながら、自分の目、相手の目、俯瞰からの目が大事だなと感じた映画であった。
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鑑賞日:2015年6月5日
場所:恵比寿ガーデンシネマ
オフィシャルサイト:ゼロの未来 THE ZERO THEOREM